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「医は仁術」展 国立科学博物館 その2

図8

 1805年 顎の骨とその関節の形態の正確な関係性がよく観察されている解剖図。この時代にここまで事細かに解剖していることに驚き。

図7

左1822年 小林 文素 紙できており臓器の位置関係がわかる・右1820年 奥田 万里 骨の形態・関節が精密に反映されている このように書物だけでなく立体的な教材も存在した。難解な人体の構造をわかりやすく教育するために、このように木材で精密に製作できるのは仏教芸術に通じるもの感じます。

図9

左 舌の状態により名称があり、医療用語として使用されていたのでしょう。 右 眼鏡は視力矯正器具として日本へは宣教師フランシスコ・ザビエル(1506-1552)が来日し、伝来したのが最初とされ当初は鼻にかけるものでした 18世紀になると日本製の眼鏡が出てきました。

図

歯の抜けた状態の補助器具として木床入れ歯は日本発祥として世界的に有名です。最古のものは17世紀に紀伊若山で発見されています。材質はツゲの木が用いられ、歯の部分は天然歯やツゲ、鉄や銅製などのものがあり、展示されていたのは部分床入れ歯で女性用のお歯黒に染めたものでした。昨年訪れたドイツ ケルンでの歯科見本市でも紹介されていました。そんな日本人の私は入れ歯治療が得意でなければなりませんね。

図10

左 「華岡 青洲 1760~1835」 麻酔薬「通仙散」を発明、1804年に世界で初めて全身麻酔による乳ガン摘出手術をした外科医 紀州藩の侍医を辞退しても多くの一般患者を生涯診ていました。故郷でもある和歌山の資料館にいつかは行きたいですね。

右 「歌川 国定 画1855年」身体の中で小人が臓器の説明をしていたり、健康でいるための不摂生をいさめる養生の風刺画。いうなれば現代の健康雑誌で、いつの時代でも関心のある事柄でした。

現在の寿命世界一の日本があるのは、このころから医師の「仁」をもった医療技術の探究と民の予防医学につながる「養生」がともに日本社会に広がっていったからでしょう。

千葉県松戸市 ひかり・歯科クリニック